義母との別れ

1936年(昭和11年)4月1日〜2023年(令和5年)6月24日 享年87歳
法名 釈博愛

昨年義妹が帰国した際に、お母さんの着物を私と妹に分けていただきました。
その時は、家族で卓球をするぐらい元気だったお母さんですが、今年に入り、食が細り、その原因を調べるために検査入院(5月12日〜5月24日)をしたところ胃がんのステージ4が発覚し、急遽入院することとなりました。

しかし、最初から年齢のこともあり、延命措置はしないという方針となり、病院を出ることとなり、うちの近くの施設に転居していただくこととなりました。(5月24日退院と同時に埼玉の施設へ転居)

6月4日(日)介護タクシーを利用して、一緒に外出することができました。

6月14日(水)から義妹も再び家族で来日、毎日かわるがわる母の様子を見に行っていました。

6月24日(土)は、午前中、私の父の病院付き添いがあり、そのあとそのまま母の施設へ向かいました。ちょうど義妹がいたので、二人で母とのやりとりなど枕元でいろいろお話をし、私もそのあとの用事へ出発、義妹もその後出て、入れ替わりでrokuさんが様子を見に来た時に、急変し、最後となりました。コロナ禍の時期じゃなかったので、部屋で最後まで一緒にいられたのは本当に良かったです。

その後、我が家の近所の葬儀屋さんへ申し込み、家族葬の手配をしました。

6月26日(月)義妹帰国のため霊安室にて最後のお別れ。お母さんの好きなものや孫が書いたお手紙など棺に入れたいものを預かりました。

6月28日(水)葬儀となり、高齢の親戚は出席を辞退されたため、私とrokuさんの二人で見送りました。

私の父にも、連絡したところ、それまで返信することがなかった父から、LINEで返事が来て2度びっくりしました。なぜなら、もう父は筋力が落ちて文字も書けず、ずっと返事ができなかったからです。

7月28日−29日 京都の大谷本廟に遺骨を埋葬しました。昨年墓仕舞いをしたので、合祀です。

その後、現在はrokuさんが主に実家の片付けに月1回は三重へ。食器など形見分けでいただいたものを整理しています。

お母さんとは、毎朝の礼拝でご挨拶。お父さんと再び会って、楽しい会話をしているでしょうか。

本当にお母さんに出会えて幸せな嫁でした。私も少しでもお母さんのようになれるよう頑張りたいと思います。

昨年2022年の12月、新しく買った自転車に乗ってお買い物の時の様子。

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